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二戸の実は…

国宝や重要文化財を支える 二戸の漆

国宝や重要文化財を支える 二戸の漆

昔から良質な漆がとれた二戸市浄法寺(じょうぼうじ)地区。天台寺の僧が漆器を作り、それは「御山御器(おやまごき)」として庶民の暮らしへ浸透。浄法寺の漆器は、現在に伝わっています。

現在日本で消費される漆の約98%が外国産、残りが国産漆です。この国産漆の6割以上は浄法寺漆です。(※1)「浄法寺漆」は世界遺産である京都・鹿苑寺金閣、平泉・中尊寺金色堂、日光二社一寺など日本の代表的な文化財の保護に重要な役割を果たしています。

日本人は9千年も前の縄文時代には漆の性質に気づき使い始めていました。磁器が「チャイナ」と言われるように、漆器は「ジャパン(japan)」とも言われます。二戸はjapanのふるさとなのです。

※1「平成26年特用林産基礎資料」によるものです。

「ぶっとべ」って知ってますか?

「ぶっとべ」って知ってますか?

二戸地域には「ぶっとべ」という不思議な名前の食べ物があります。これは一体なんでしょうか?

二戸地域は畜産業が盛んで、良質な食肉が生産されています。それに注目したのが「二戸若手料理人の会」。二戸地域の食肉の美味しさをもっと知ってもらいたいとの思いから開発されたのが「ぶっとべ」という料理です。 「ぶっとべ」とは3つの食材の頭文字なのです。それは何か。

ぶ=豚肉。二戸のブランド豚
と=鶏肉。二戸のブランド鶏
べ=牛肉……。
あれ?と思われた方。岩手では牛を「べご」と呼びます。
では改めて、
べ=牛肉。 二戸のブランド牛 短角牛(たんかくぎゅう)
上質な脂身が魅力の豚肉と旨み成分たっぷりの短角牛のもちっとした食感。そこに突然、鶏軟骨のコリッとした不意打ち。それぞれの素材の良さの見事な相乗効果です。
ぶっとべつくね串はイベントで3000本完売するほどの人気でした。市内には「ぶっとべ」料理を堪能できるお店があるのでぜひご賞味あれ!
Googleで「ぶっとべ」と検索すると上位に「二戸若手料理人の会」と出てきますね。この方々が「ぶっとべ」という台風の目なのです。

天台寺を救ったのは敬虔なクリスチャン?

天台寺を救ったのは敬虔なクリスチャン?

日本一の漆の里、二戸市浄法寺町。ここに名誉住職・瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんの「あおぞら法話」でも有名な天台寺があります。

世界遺産平泉よりも古いと言われる東北屈指の古刹、天台寺。藩政期には繁栄を極めました。5間(約9m)四方の本堂、六坊と呼ばれた宗徒の宿坊、阿弥陀堂、薬師堂、弁天堂など40近いお堂が立ち並ぶなど、現代では想像もつかないほどの壮観だったと言われています。

しかしこの荘厳極まる天台寺に受難の時が訪れました。

明治政府による神仏分離令(しんぶつぶんり:神仏習合の習慣を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別すること)をきっかけに全国各地で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく:「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味)運動が起こりました。
これにより各地の寺院や仏具の破壊が行われ、天台寺は国内最大級の被害を受けました。

昭和46年に発足した「浄法寺町文化懇談会」から、当時、浄法寺郵便局長として多忙な日々を送っていた佐藤正人は「天台寺保存会」を設立。クリスチャンでありながら天台寺を思う気持ちは誰よりも強かったとされます。この他にも「天台寺研究会」の旗揚げや「天台寺舞楽」と「月山神楽」の復活、「門崎地区むらづくり協議会」設置の提唱など、復興に向けた活躍が数多く挙げられます。

例大祭の法話に耳を傾けながら、あるいは瀬戸内寂聴名誉住職自らが株分けした紫陽花(アジサイ)を眺めながら、そう遠くない昔に思いを馳せるのも良いかもしれませんね。

とり合戦って、なんでしょう?(国内有数のブロイラー産業地)

とり合戦って、なんでしょう?(国内有数のブロイラー産業地)

ブロイラー羽数の全国1位と2位はの県は九州にあります。岩手はそれらに次いで第3位の県です。そして二戸を含む県北地域は岩手県の中でも最大のブロイラー産地。二戸地域は全国シェアの約43%(H26)を占めています。

なぜこの地域でブロイラー産業が盛んなのでしょうか。
理由として
1.二戸地域は山間地で平場が少ないため、養鶏業が山間地に鶏舎を建てて飼育することができる
2.飼育期間が短く、比較的高い収益性があること
3.近接する八戸市内に国内有数の飼料コンビナートがあり、安価に飼料供給が可能なこと
4.ブロイラー養鶏業に着目した養鶏農家や雑穀問屋などが事業に参入し、一体となって振興に取り組んだことなどが考えられます。

しかし、なぜわざわざ第1位〜3位の発表をしたのか。
それは、トップ3県(鹿児島県、宮崎県、そして岩手県)の鶏料理が一同に集う「鶏王国、北いわて とり合戦」と題した夏のイベントがあるからです。夏はやっぱり旨いビールと鶏料理だべ〜と思ったそこのアナタ!「とり合戦」の名にふさわしい夏の陣にご参加あれ!二戸へは新幹線で来られますよ〜。

猫の恩返しの寺「福蔵寺」

猫の恩返しの寺「福蔵寺」

今から350年ほど前のお話です。

浄法寺にある吉祥山(きっしょうざん)福蔵寺が山奥の小さな寺だった頃、寺の門前に住むお福と一人息子の長松が、迷ってきた1匹の痩せ猫をトラと名付けたいそう可愛がっていたそうです。

長松は素直で賢い子どもに成長し、寺の住職はお福を説得してお寺の弟子にしました。やがて老師の遷化の後を継いだ長松は福蔵寺第五世の住職となり、生みの親であるお福は息子のお陰で何不自由なく暮らしておりました。

さて、ある夜、トラがお福の枕元に来て「今までのお世話に報いる時が来ました。和尚様(長松のこと)もやがて御出世します。私の命は残り少なく名残惜しく思います」と涙を流し何度も頭を下げたのだそうです。その日からトラを見たものは誰もいなかったのだそうです。

慶長(江戸時代の年号)の初めの頃、南部の殿様が亡くなられ、その葬儀中のことでした。突然怪しい大風が吹き荒れ、殿様のお棺が空中に巻き上げられてしまいます。あわてた僧侶たちが必死に読経しても棺は降りてきません。困り果てた時、山奥から馳せ参じた福蔵寺住職の賢明な黙祷祈念によって風雲がおさまり、殿様の棺は元の座に戻りました。新藩主はこれをたいそう喜んで、多くの引き出物と寺領三十石を与え、これが福蔵寺の繁栄のきっかけになったと言われています。

藩主葬儀の怪異を聞いたお福は、先のトラの夢を思い出し我が子である住職に伝えると、すべてはトラが恩に報いるためにしたことと知った住職は、寺の鬼門にあたる森のなかに猫塚を建立して霊をあがめ敬ったといいます。 母猫とはぐれた痩せ猫がどんな人生を歩んだのか、福蔵寺で感じてみたいですね。

全国各地を旅したライダーが行き着く先は二戸?

全国各地を旅したライダーが行き着く先は二戸?

関東はもちろん、西日本に住むライダーたちにとっては、東北、特に岩手県はその距離的立地から遥か彼方、未知の土地。遠くに旅をするなら、まずは直距離フェリーの航路があってアクセスしやすく、憧れの大地である北海道を選択しまいます。しかし、全国を巡っていながら、東北に足を踏み込んでいなかったライダーたちがようやく岩手を訪れて叫ぶ言葉は「ここはツーリングパラダイスだ!」なのです。

さて、ライダーたちは、点の旅だけではなく、移動中の道でのライディングも楽しんでいます。交通量が少なく、快適に走り続ける事ができる岩手県の道は歓喜の声をあげる程に喜びを感じるのです。そして道から見る景色は、他で見ることが少なくなった田畑があって、素朴な家の向こうに山々が続くというイメージ通りの田舎の原風景なのです。出会う人たちも言葉もまた心地よく、まちの食堂で食べる食事も素朴で美味しく、温泉もあって、各地に歴史的なポイントも点在します。走って良し、食べて良し、遊んで良し、そんな条件を満たしているのがここ、二戸なのです。旅ライダーたちは二戸の良さに気がついてくれているのです。

そんな二戸には、国内はもちろん世界のクラシックバイク、他にもバイク関連グッズなどを保存、展示している「愛輪塾 みちのく記念館」という施設があります。地元のバイク愛好家によって運営されており、クラシックバイク好きだけでは無く、北から南から全国のライダー達が集まって来る全国的にも貴重な場所でもあるのです。全国屈指のツーリングルートがある場所として増々、二戸はライダーたちの聖地として、認知されていくことでしょう。

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