「地域が続いていくために夢中であること」
【にのへ夢中人プロフィール】
- お名前:
- 戸来(へらい)守和さん、博子さん
- ご出身
- 二戸市石切所、秋田県大仙市
- お仕事
- 建築設備工事
- 夢中コト:
- 守和さん
─仕事(年中)、金勢祭の段取り、野球とゴルフ、時々釣り
博子さん
─育児、野球観戦、料理 - 夢中度合い:
- ★★★★★MAX
——夢中人のキューピッド
守和さんが熱中しているのは「野球」。かつての勤務地だった仙台でリフレッシュを兼ねて草野球チームに入っていた。小学3年生から続ける野球は、出身地である二戸の伝統校「福岡高校」でも続けられた。福岡高校と言えば応援団がバンカラ応援団で、夏の大会は県営球場まで距離にして80km超を歩いて行くということで有名だ。
守和さんは本業はキャッチャーで外野もこなせるマルチプレイヤーだが、もっぱら得意なのは打撃の方だとか。10年越しで地元に戻ってきても、朝野球チームに所属するほどの夢中人だ。夢中人だからこそ、野球を通じて知り合った奥さまのハートを射止めることができた。
プレイこそしない奥さまだが、大の野球好き。攝津投手(せっつ。秋田県秋田市出身)を初めて見たときカッコイイと思い、それから野球をおぼえたいと思ったのだそうだ。「本当はやりたかったんですが、終電が7時で部活ができなくて。」それでも大好きな野球に関わりたくて21歳の時にマネージャーとして野球に関わろうと決心した。そんな奥さまの目に守和さんは「野球好きオーラが出ていた」という。夢中人同士が人生のパートナーになった。
——Uターンのきっかけ
元々「戻ってきて商売をやる」と決めていたことがきっかけなのだそうだ。期間は10年間。修行に出たと言える間に多くを吸収し学び、勉強させていただいたことを活かして今の仕事を行っている。
期間を決めた瞬間から時間はどんどん減っていくもの。仕事に向かう姿勢からも夢中人であることが伺える。野球の他に夢中になっているゴルフは、仕事の付き合いの上でも欠かせないものになっている。「家族の迷惑にならないように気を付けながら行ってます。右に曲がり(スライス)ますけど」と守和さんは笑ってみせる。
一方、秋田から嫁いだ奥さまにとってはUターンならぬ移住となる。ご結婚する前は(二戸に)来たことがなかったのだそうだ。「盛岡までは遊びに行ったことがありますが、二戸は(来たことは)ないですねぇ」。
平成14年から二戸駅には新幹線が停まるようになり、盛岡はもちろん仙台、東京も気軽に行き来できる環境となった。仙台の野球グランドでお二人が出会った時は医療事務として勤務していたが、旦那さまを支える今は会社の事務としてのスタートを切ることになる。また、3人のお子さまを育てるお母さんでもあるため、慣れない土地での生活は家族の協力は元より、二戸の風土や地元の方の人柄が暮らしの大きな助けになっている事は言うまでもない。
——二戸って
「明るくて優しい人が多いなぁ。」
知り合いの居ない土地にやって来て、どこに何があるかも分からず。だが子供を通じて知り合ったママ友達にはそういった印象を持った。
「最初は構えるんです」地元出身で一度外に出たからこそ客観視できるようになった守和さんが言葉を添える「でも根は世話焼き好きなんです」二戸には困っている人を放っておけない性分の人が多いのかもしれない。
「子育てで困ったことはないですね。色んな人に助けられました」博子さんの顔がパァーっと明るくなり、インタビューの緊張がほぐれる。「主観ですが、風土に培われた我慢強さがあると思います。だからこそ優しいのかな。人が良すぎるところもありますけど(笑)」と守和さん。
二戸の風土はバンカラ応援団に象徴されているように、己に課す我慢強さと他者に向けた優しさを併せ持つ。外からやってきた人を優しく迎えたこの土地は、一方でしなやかさと強さを育む風土だと言える。
——温泉の魔法
「あとね、温泉が近くにあるんですよ」とかつて仙台で暮らしていた二人が言う。
そこでハタと気が付く。
温泉はこちらでは気楽に行ける場なのだ。そこで育った人間には当たり前すぎて、温泉がいたるところにあるという事の良さに気付かないことが多い。家族でさえ歳月を経ることに一緒に入浴する機会が減り、まして自宅の風呂には友人・知人などとは一緒に入る事さえ無い。これも当たり前のこととして認識しているが、温泉の持つ魔法をいつでも利用できるのは二戸ならではなのだ。「家族や友人・知人と日帰り温泉でリフレッシュ」や「仕事帰りに温泉」は、都会の生活ではきっと想像出来なかっただろう。
——地域が続いていくために
守和さんの地元には金勢(こんせい)祭という伝統行事がある。金勢祭は子孫繁栄や商売繁盛を願う神社のご神体「金勢様」を乗せた神輿をつかう。守和さんは、途絶えてしまったこの祭典の名物イベント「神輿担ぎタイムレース」を、なんと20年ぶりに復活させた立役者だ。
かつてレースが行われていた二戸駅の東口は、交通量の増加やバスの運行ルートとなっておりそれが理由で名物イベントは途絶えてしまっていた。3年前に地元に戻った守和さんは、なんとしても駅前を盛り上げていかねばという使命に燃えた。そこで地元に残る若い人間を積極的に関わらせ、若者が喜ぶコンテンツを祭りに取り込むという工夫を凝らした。
SNSで発信される情報に共感する若者がどんどん集まり、同市内の祭り行事と比べても若者の参加者が多い祭典に生まれ変わった。
どんなに時間がなくても、人を育む地域を寂れたままにしておきたくない。
ハレの日こそ元気な地域を取り戻したい。
いや、祭りの日だけではない。参加した若者達にも、更に若い世代に声がけをさせ、動き回る自分の背中を見せながら育成も行っている。
「(子供の面倒とかで)家族にも迷惑かけましたし、ずっと私がやれるわけではないですから」。若者の参加こそが地域が続いていく流れを生む。与えられた環境で生きていくしかないのではなく、変えていくチャレンジができる環境こそが「地域が続いていく」ために必要なのだ。生まれ育った頃に見ていた元気な商店街のシャッターが増えてしまったことに嘆く帰郷人は多いが、そこからうねりをつくり出すのは正に二戸の夢中人たる証だ。「子供たちのためにも、これからも地域作りに関わっていきます」
——人生の目標
「前向きに生きていきたい」と仰るのは、お子さんをもうけてから思うようになった博子さん。
「いいオヤジになりたい」常に必要とされ続ける大人でありたい、とは守和さん。
熱い眼差しとはにかむ笑顔が印象的な夢中人のお二人だ。