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奥州街道

おうしゅうかいどう

謎とロマンに満ちた、二戸市中心部の大動脈

徳川幕府の命で整備された五街道の1つ、奥州街道。歴史上の有名人物がたくさん行き交いました。とりわけ、明治天皇の東北巡幸には、日本史の教科書に登場する錚々たる面々が随行しています。奥州街道は、正確には日本橋を起点に白河までですが、仙台以北、盛岡・青森を経て、津軽半島の三厩まで続く街道も、俗に奥州街道と呼ばれていました。長距離で、宿場の数は百十四次もありました。藩政時代のままの姿を残す浪打峠を境界として、二戸ルートは、村松から福岡を抜け、金田一を通って「険阻なること南部一」といわれる蓑ヶ坂に至る行程。福岡宿から旧八戸領観音林を通り、八戸城下へ向かう八戸街道は、奥州街道の脇街道でした。安永乙未夏(1775)、当時の福岡通代官・大巻勇助によって建立された「右もり岡、左白とり」と刻まれた追分石が、岩谷橋のたもとにあります。
*地図(GoogleMap)のピンは駕籠立場(かごたてば)で、奥州街道二戸ルートのゴール地点的なスポットとなります。

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奥州街道基本情報

住所
岩手県二戸市
問い合わせ先
(一社)二戸市観光ツーリズム協会
問い合わせ先電話番号
0195-23-3641
URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B7%9E%E8%A1%97%E9%81%93

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